HGN(hypogonadism Rat)
執筆者:鈴木浩悦(日本獣医畜産大学獣医生理学教室)
1.キーワード
精巣形成不全症,腎低形成症,卵巣低形成症、不妊、泌尿生
殖器
2.由来
日本獣医畜産大学において、Wistar Imamichiラット由来の水腎症系統の第5世代に非常に小さい精巣を有するラットが発
見された。この異常形質は常染色体性単純劣性で、雄性不妊を発症することが判明し
、遺伝子記号hgn(:Hypogonadism)を提唱した(文献1)。系統は表現型正常(+/hgn)
同志の兄妹交配により維持され、現在34世代に達している(HGN系統)。
3.表現型・病態
雄性不妊に関して発症個体の精巣は、卵巣程度の大きさしか
なく、副生殖器は雄型ですべて存在するが、非常に小さい。核型は20+XYで、雌の生
殖器は存在しない。血中のホルモンレベルは低テストステロン-高ゴナドトロピンで
、副生殖器および下垂体は外因性のテストステロンに反応するため、精巣原発性の
hypogonadismである(1および2)。成熟精巣では精索様の管は存在するが、内部では精
子形成は見られず、周囲をライディッヒ細胞が島状に包囲している(1)。生後12日
令からの精巣のテストステロンの分泌更新が見られず、成熟型のライディッヒ細胞の
機能不全があると思われる(2および5)。生後初期の病理発生では、未分化な精索が
成熟の精細管に分化する過程での様々な事象:始原生殖細胞の分裂停止と基底膜区画
への移動、セルトリー細胞の増殖と柵状配列形成、間充織からの一層の筋様細胞の分
化と外側の基底膜様構造の形成などがうまくいかない(5)。結果的に始原生殖細胞
から精祖細胞への分化が正常に進行せず、1〜7日令では始原生殖細胞のマーカーであ
るアルカリフォスファターゼに陽性の生殖細胞が精細管内に充満した状態が見られ、
21日令にはほとんどの生殖細胞が死滅するようである。また、管周囲の間充織細胞が
精細管周囲に重層しており、正常な一層の筋様細胞の分化が遅延する(7)。・雌の繁
殖性低下に関して当初、発症仔の出現率から、繁殖性を有する雌の劣性ホモ個体が存
在することが予想されたが、検定交配により雌の+/hgnとhgn/hgnとを判別することは
不可能であった(1)。HGNが水腎症系統に由来するため、水腎症の発生が腎臓の大きさ
の比較を難しくさせたが、世代の進行過程で水腎症を除去し、8世代において、発症
個体と正常個体の腎臓の大きさに違いがあることがわかった。腎臓の小さい雌を試験
開腹により離乳時に選抜し、これに+/hgnを交配したところ、hgn/hgnと+/hgnとが1:1
の比で得られ、雌のhgn/hgnが腎臓の低形成症により選抜できることが判明した(3)。
腎低形成症により同定されたhgn/hgnの雌は低繁殖性で、産仔数および着床数が正常
の約半数で、正常より早期に約250日令前後で不
妊となった。排卵数がほぼ正常であるため、排卵後受精から着床までの間に約半
数卵が失われていると思われる。また、卵巣が低形成で卵巣に存在する卵細胞および
体細胞の数が明らかに少なく、それが早期不妊の原因の一つと考えられる(4)。・腎
低形成症に関して腎臓の低形成は、両側性で、出生時点ですでに存在している。生後
の各日令での糸球体数の計測により、糸球体の数は+/+>+/hgn>hgn/hgnであり、そ
れぞれに有意差があった。発症腎臓の糸球体数は正常の約1/4で、個々のネフロンが
代償性に肥大している。血漿中の尿素窒素およびクレアチニンは、成熟発症個体で有
意に高い(6)。生後初期の腎臓では腎皮膜下にネフロン形成層が見られるが、発症
ではそれが欠損し、尿細管が直接腎皮膜に接している領域があり、また、腎皮膜下に
未分化な間充織が残存している(6)。さらに正常なラットのネフロン形成は通常、
10日令頃までに終了するが、発症では10日令において、未分化なネフロンが残存して
おり、発症腎臓のネフロン数は出生時点から少なく、その後の増数もるやかである(
6)。成熟後、老齢までに、尿素窒素およびクレアチニンは有意に上昇し、慢性腎不
全が進行する。想定される腎不全の進行機・ヘ、ネフロンの減形成による個々のネフ
ロンへの負荷の増大が、糸球体の高濾過、肥大および硬化症を生じるためと考えられ
る。全身性の血圧は上昇していない。発症個体はおそらく、腎性の2次的な異常とし
て貧血、上皮小体機能亢進症、骨異栄養症を生じる(8)。老齢では血中のカルシウ
ム濃度の減少と無機リン濃度の上昇、骨におけるカルシウム含量の減少が見られ、病
理組織所見としては上皮小体の極度の肥大と、線維性骨炎像を呈する(8)。
4.病因(原因遺伝子)
病因遺伝子hgnはラット第10染色体上でD10Mit2近傍にマップ
されている(9)。最近、約400個体のラットバックロス、110個体のマウスバックク
ロス、および RHパネルを用いた解析により、hgn遺伝子座はD10Rat159とD10Rat68の間にマップされ
、NOS2(NO合成酵素)近傍にあり、マウスのhgnに対する遺伝子座は第11染色体の
D11Mit364とD11Mit365の間に存在することが判明している。
5.臨床への応用・有用性
精巣形成不全に関して生殖腺の分化や生殖細胞の分化機構に
関する研究は、古くはその分化段階に異常を示すミュータントの解析、最近では各種
ノックアウトマウスにより解析が進められているが、哺乳動物ではいまだ生殖細胞の
全ステージを支持する培養系は確
立されておらず、そのため生殖細胞の分化機構に関しては不明な点が多い。これまで
に報告されているノックアウトマウスやミュータント系統の異常は、精巣や卵巣が形
成されなかったり、始原生殖細胞が生殖腺へ定着する以前に死滅したり、減
数分裂開始以降の分化停止のものが多く、本症の様に、始原生殖細胞が精巣に見ら
れるが、その後の精巣の形成過程に異常を呈して、生殖細胞が減数分裂開始以前に死
滅する様な病態を示すものは報告されていない。特に生殖細胞の分化制御の点では、
本症ラットで異常を示す時期に雌の始原生殖細胞は減数分裂の前期に進行し、網状期
で休止しているが、雄の始原生殖細胞は体細胞分裂を停止しており、この時
期の生殖細胞の分化制御機構は全くのブラックボックスである。hgn/hgnの雌が繁殖
性を有し、雄の始原生殖細胞が分裂停止するべき時期に異常分裂像を呈して死
滅することから、本症ラットの病因遺伝子あるいはそれと連関して働く因子が、この
間の生殖細胞の分化制御機構に必須であると考えられ、その同定は、生殖細胞の
分化制御機構の解明において重要であると考えられる。・雌の低繁殖性に関して本症
ラットは女性の早期不妊症(premature ovarian failure:POF)のモデルである。一部のPOFにはX染色体の遺伝子が関与していること
が報告されているが、多くは原因不明である。・腎低形成症に関して本症は人および
様々な動物種に見られる腎低形成症の病態解析のために有用なモデルである。特に人
ではOligomeganehproneと言う低形成腎症が報告されており、本症の病態は類似して
いる。また、腎疾患の研究においては、ラットを用いて腎組織の外科的切除や薬物に
よる腎組織の破壊などにより腎炎を作出しているが、本症ラットは先天的にネフロン
数が少ないため、その様な処置を行わなくとも、慢性腎不全に進行し、その経過を評
価および観察できる。特に雄では、精巣の異常により外観で発症個体を判定できる利
点もある。人の集団において、どれほどもともと腎臓に存在するネフロン数に変動が
あり、それが腎疾患の予後に影響をもたらすかは明らかではなく、本症ラットは、そ
の様な腎臓の予備能力に関する生理的研究および腎疾患改善薬の薬効の検定などに利
用可能なモデルである。
6.維持機関
日本獣医畜産大学獣医生理学教室
7. 文献
1. Suzuki K, Hakamata Y, Hamada, A, Kikukawa K, Wada MY,
Imamichi T. (1988)
Male hypogonadism as a candidate of deficiency of
postnatal testicular growth or differentiating factors: A new autosomal recessive mutation
in the rat.
Journal of Heredity 79, 54-58.
2. HakamataY, Kikukawa K, Kamei. T, Suzuki K, Taya K,
Sasamoto S (1988)
A new male hypogonadism mutant rat (hgn/hgn):
Concentrations of testosterone (T), luteinizing hormone (LH) and follicle-stimulating
hormone (FSH) in the serum and the responsiveness of accessory sex organs to exogenous T,
FSH, human chorionic gonadotropin, and luteinizing hormone-releasing hormone.
Biology of Reproduction 38,1145 - 1153.
3. Suzuki K, Suzuki H, Hakamata Y, Kamei K, Kikukawa K.
(1991)
Genetic analysis and histology of hypoplastic kidneys in
the male hypogonadic mutant (hgn/hgn) rat.
Congenital Anomalies 31,305-314.
4. Suzuki H, Hakamata Y, Kamei T, Kikukawa K, Suzuki K
(1992)
Reproduced fertility in female homozygotes for hgn (male
hypogonadism) selected by hgn-associated hypoplastic kidney.
Congenital Anomalies 32, 167-178.
5. Suzuki K, Hakamata Y, Suzuki H, Taya K, and Sasamoto S
(1993)
Postnatal alterations of testicular morphology, testicular
testosterone contents and plasma hormone levels in male hypogonadic rat (hgn/hgn).
Journal of Reproduction and Development 39, 333-346.
6. Suzuki H, Suzuki K (1995)
Pathophysiology and postnatal pathogenesis of hypoplastic
kidney (hpk/hpk) in the male hypogonadic mutant rat (hgn/hgn).
Journal of Veterinary Medical Science 57, 891-897.
7. Suzuki H, Inaba M, Suzuki K (1998)
Temporal and spatial distribution of alkaline phosphatase
activity in male hypogonadic rat (hgn/hgn) testis during postnatal development.
Journal of Veterinary Medical Science 60, 671-679.
8. Suzuki H, Suzuki K (1998)
Rat hypoplastic kidney (hpk/hpk) induces renal anemia,
hyperparathyroidism, and osteodystrophy at the end stage of renal failure.
Journal of Veterinary Medical Science 60,1051-1058.
9. Suzuki H, Kokado M, Saito K, Kunieda T, Suzuki K (1999)
A locus responsilbe hypogonadism (hgn) is located on rat
chromosome 10.
Mammalian Genome 10, 1106-1107.